茶まつりについて -2016年


ごあいさつ(金谷茶まつり保存振興会会長 木村 一男)  

 茶の町金谷に新茶到来の季節、二年に一度の金谷茶まつりが四月十四日、十五日の両日盛大に開催されます。
 金谷地域も新たな交通網の発達、貴重な伝統・文化遺産・自然の恵み、観光資源が数多く詰まっております。それを守り、継承しながら発展させるべく先駆けとなる役割を果たすのは「金谷茶まつり」であると感じます。
 茶業の発展振興なくして、金谷地域の活性はありません。
 お茶は単にその場の飲み物であるばかりでなく、深く我々の生活、心にも影響する効果もあると認識いたします。
 茶摘みに向かう姿を再現した、井桁模様の金谷絣に、茜襷をきりりと絞め、艶やかに踊る街道名物茶娘道中は、古来の茶摘みの習俗を残す「金谷茶まつり」の主役として現在に引き継がれております。
 夕方からは一転、「屋台道中」が繰り広げられ、六支部が地域コミュニティの絆を深める屋台踊りとお囃子、勇壮な川越し太鼓の競演です。昼夜、心行くまで堪能いただければ幸いに存じます。
 結びに、関係各位のご支援、ご協力に心より感謝申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。



ごあいさつ(島田市長 染谷 絹代)  

 本年、金谷地区の伝統あるお祭り「第38回金谷茶まつり」が盛大に開催されますことを心よりお慶び申し上げます。
金谷茶まつり保存振興会をはじめ関係者の皆様におかれましては、日頃より観光振興や地域発展のため、格別の御理解と御支援を賜り心より感謝申し上げます。
新茶の季節の到来を告げるこの「金谷茶まつり」は、2年に一度開催される島田市を代表する人気行事のひとつで、茶娘が踊る「茶娘道中」をはじめ、法被の若者が勇壮に屋台を引き回す「屋台道中」、伝統芸能である「大井川川越太鼓」、更には千人を超える茶娘が一堂に会し踊る「茶娘合同踊り」など、県内外からお越しいただいたお客様を大いに楽しませてくれるものと思います。
 この「金谷茶まつり」にお越しいただいた多くのお客様に、島田市緑茶化計画にもあります「地球上でもっとも緑茶を愛するまち島田市」を積極的にPRし、地域の活性化につなげていきたいと考えております。
結びに、「金谷茶まつり」の開催にあたり御尽力いただきました多くの皆様に感謝申し上げますとともに、「第38回金谷茶まつり」の成功を祈念いたしまして、御挨拶とさせていただきます。



金谷茶まつりはいつから?  

金谷茶まつりの由来・歴史について、残念ながら明確な資料が存在していないというのが現状です。旧金谷村と旧五和村が合併し、金谷町(現在の島田市金谷地区)が誕生したのが、昭和32年です。(東京タワーが誕生した昭和33年の前年)この年にはすでに茶まつりが行われていた記録が残っています。では、金谷茶まつりの第1回はいつなのでしょうか? 昭和25年説と昭和26年説が、存在するのですが、旧金谷町の職員、田中達男氏によると、昭和26年2月に金谷茶まつり準備委員会が行われ、5月5日に茶感謝祭、よく6日に茶娘道中が行われたそうです。
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初めの茶娘はどこでお披露目した?  

昭和25年、静岡市で全国茶業者大会が行われ、その最終日に金谷町内にある県茶業試験場で来客の接待を、役場の女子職員が行いました。この時茶娘の衣装を着て接待をした5-6名の女子職員の姿が紹介されました。これが茶娘の初めではないかといわれています。
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あの茶娘の衣装は、どうして出来たの?  

金谷の茶娘といえば、姉さん被り・茜だすき・紺の絣(かすり)の着物・手甲脚絆のあでやかな衣装で評判ですが、その由来は・発案者は残念ながらよくわかりません。茶まつり開始当初は、まちまちの絣の衣装が回を重ねるごとに統一した綺麗な衣装となりました。商工会・婦人会・踊りのお師匠さん達が試行錯誤した成果が、今の金谷茶娘の衣装となったわけです。
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静岡県で一番の祭りとして選出された?  

茶まつり開始当初、静岡新聞社の「静岡県の祭り百選」という企画があり、読者の応募から、「金谷の茶娘道中」が見事一位となりました。50年以上前の事ではありますが、今でも静岡県一位であった「誇り」を忘れず、今回も観光客の皆様をお待ちしております。
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資料提供:田中達男氏、山田好行氏

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